自社に帰った保治は早速、先生との会話のやり取りを義己にして聞かせた。

「なるほどなァ。それもすでに経営コンサルタントの指導の一つやな」

義己に言われて、保治も頷いた。
経営コンサルタント本人に言われなければ、彼を数社で雇うなんて考えには及ばなかっただろう。
義己の言うとおり、先生は「経済的に自分を雇う」方法を示すことで、すでに実力の片鱗を見せていたのだ。

経営コンサルタントを雇うことに対してはじめは渋々という感のあった義己も、これで納得した。
会社を思う気持ちに二人の温度差はない。
ただ、この頃はまだ保治も義己も経営コンサルタントというものに半信半疑で、どれだけの効果をもたらしてくれる存在なのか不安だっただけなのだ。

「よし。ほな、あそこの社長にも声を掛けてみるわ」

保治は早速、知り合いの経営者や経営セミナーで知り合った社長たちに声をかけて回った。

「その人、ほんまに信用できるんでっか?」

「ぼったくられてるだけちゃうか?」

「今さらそんなことせんでも……」

皆それぞれに自分の会社の行く末に漠然とした不安を抱えてはいるものの、今までの自分のやり方に自信と信念も持って会社経営を行っていたから、経営コンサルタントなんて未知の存在には皆一様に不安の色を示した。

「無理にとは言いません。参加したいと思った人だけで結構です」

保治自身、確信は持っていたが責任は持てなかったから、他の経営者たちにも無理強いは出来ない。
それでも5社が勉強会への参加の意思を示し、枚岡合金とあわせて6社で「大阪府リエンジニアリング研究会」が結成されることになった。
1999年5月。
新緑が芽生えはじめた季節のことである。